「町医日碌」と題して町医者の日記を随時掲載しております。
Kさんは50歳代の男性でした。
いくつかのお店を経営する実業家でワンマン社長のようでした。
私の外来に紹介されて来られた時点で肝臓内に多発する癌がみられ、C型肝炎ウイルスに感染していたことから原発性肝癌と診断しました。多発していたため手術は不可能で当時唯一の治療法だった肝動脈塞栓術を 行うことになりました。
このような場合、病状の説明には必ず家族を同席してもらうようにしており、奥様を呼ぶようにKさんに伝えたのですが「説明は全て、なにも隠さずに俺にしてくれ。妻には自分から伝えるので先生の口からは一切なにも妻には言わないでくれ」と言われました。
患者が未成年の場合には保護者に必ず説明しますが成人の場合にはその意志を尊重しなければなりません。
私はKさんの言う通りにすることにしました。
現在ではC型肝炎はほぼ治る病気になり、肝細胞癌も多くの治療法がありますがKさんのケースは肝動脈塞栓術を2~3ヶ月ごとに繰り返すしかありませんでした。
病状は一進一退でしたが徐々に治療の効果が落ちてゆき約2年が過ぎ、治療も限界に近づいた時に私はKさんに「もう治療が難しい段階です。
はっきり申しあげてあと半年もつか難しい状況です。
今まで一度も奥さんにお話していないし私の口から説明しておきたい」と言いましたが「いや、妻にはきちんとこれまで自分から説明している。何も言わないでくれ」と言われてしまいました。
「でもKさん、経営する会社の引き継ぎなんかは大丈夫ですか?」主治医として余計なことだったかもしれませんが聞いてみましたところ「大丈夫だ。俺が死んでも妻には全く迷惑がかからないようにしてある」と言われたので私は奥様への説明をあきらめました。
病状はいよいよ進行し肝不全から意識障害が出現してきたため最後の入院となりました。
この時点で私は初めて奥様と向き合いました。
「病状は本人からお聞きのことと思いますが」
「はぁ?いったいどうなってるんですか?主人はなんでこんなことになってるんですか?今までなんで説明してくれなかったんですか?」
「いえ、ご主人は奥様には自分から説明すると言われてたので」
「私は何も聞いてません!」
そこで初めてこれまでの経過ともう数日の命と思われることを奥さんに説明したのですが
「こんな状態が悪いのに妻である私に今まで一言も説明しないのはひどい、どういうことですか」「・・・・・・・・」
「主人がそう言ったとしても私に伝える方法はあったはずだ」「・・・・・・・」
もはやKさんに意識はなくなり彼の意志であったことは言い訳にならず「申し訳ありません」と言うしかありませんでした。
「ただ、奥様には迷惑がかからないようにするとご主人はおっしゃってたんですが」
「何を言ってるんですか!仕事もなにもかも全て放ってあるんです、どうしてくれるんですか!」「・・・・・・」
数日後Kさんは亡くなられました。死亡確認にお部屋に伺ったときの奥さんの刺すような視線は今も忘れられません。
Kさんが何故、2年あまりの闘病中に、自分の妻に何も話さなかったのか、夫婦間になにがあったのか(子どもは居なかったようです)わかりません。確かにKさんに黙って奥さんに伝えることは可能でしたが、それをKさんが知ったら、と言うか必ず知ることになり、私への信頼がなくなったと思います。
今でもどちらが正しかったのか確信をもてません。がんの告知にあたり患者さん本人のみならず、家族への告知にもいくつか問題があることをKさんは私に認識させてくれました。
著者:みむら内科クリニック 院長 三村 純(みむら じゅん)