「町医日碌」と題して町医者の日記を随時掲載しております。
私の新婚旅行の話など誰も知りたくないと思いますのでご安心ください。
B子さんは28歳の女性、外資系の大企業に働くOLでした。仕事は順調で婚約者もいて青春を謳歌しておりました。
そんなB子さんが長く続く胃痛を訴え私の外来に来られたのは9月のある日のことでした。顔色から黄疸を疑いましたので採血をしたところ、やはり黄疸を示す数字が上がっておりました。若い女性であり、急性肝炎を疑いましたが超音波検査、CT検査の結果は肝門部胆管癌による閉塞性黄疸という最悪の結果でした。
胆管細胞癌は早期発見が難しく進行してみつかれば予後が極めて不良な病気です。最近ではラグビー元日本代表だった平尾誠二さんや女優の川島なお美さんがこの病気であったことが広く知られています。
(山中伸弥先生が平尾さんとの交際を書かれた「友情」は実に感動的な本です。是非ご一読をお勧めします)
さてB子さんの場合は胆管癌のなかでも治療が難しい肝門部に発生しておりました。ベストな治療は手術ですが、部位的に高度なテクニックが必要でした。そこで当時、この手術を日本で最も多く手がけていた大学病院の教授にお願いすることになったのですが、たまたまその少し前に、ある研究会で教授の講演を拝聴する機会があり、「症例があればいつでも私に直接電話をください」と仰っておられましたので本当に電話をかけたところ出てくださり、病状を伝えましたら即、転院、手術となりました。世界的な業績のある先生でしたが大変気さくな方でとても感謝したものです。
手術は無事成功し、約3週間後にB子さんは戻って来られました。黄疸は消失し食欲も回復して、しばらく療養してから仕事に復帰されました。しかしながら手術で腫瘍はギリギリまで切除されたのですが、一部は取り切れず残ってしまったこと(手術の限界です)が切除標本からわかっていました。ですから再発は時間の問題でもありましたが当時は再発しても有効な抗癌剤はなくただ祈るのみでした。
10月以降は病状も落ち着き、月に1度の外来に通院してもらいながら婚約者と新婚旅行の相談をしていると楽しそうに語ってくれていたのですが、術後から約半年後の3月に「おなかが張る」と来院され、検査で腹水が貯まっておりその腹水から癌細胞が検出されてしまいました。これは癌性腹膜炎という状態でおなかの中に癌細胞が無数に再発したことを意味しました。
有効な治療法はなかったのですが、本人と相談して、当時膵臓癌に使用が始まった抗癌剤による化学療法を開始しましたところ、これが奏功して1ヶ月後には腹水が消失したのです。再び小康状態を得られたことでB子さんは新婚旅行を希望され私に許可を求めました。当然異存はなく、2人はハワイへ旅立ちました。
数日後純白のドレスで満面の笑みをうかべたツーショットの絵はがきが届きましたが、その写真を見る限りなんの不安もない幸せいっぱいの笑顔で病気は全く想像できないものでした。
残念ながら抗癌剤の効果は長続きせず、7月には腹水がまた貯まり始め、8月には肝臓や肺にも転移が出現してきました。
このため抗癌剤は断念して治療は症状の緩和が中心になりました。
そして発病から1年の9月にホスピスへ転院することが決まりました。転院は日曜でしたが、私は病室へ伺い、小さな花束をB子さんにプレゼントしました(患者さんにそんなことをしたのは最初で最後でした)。
B子さんにとってはサプライズだったらしくとても喜んでくれました。
翌日、担当看護師から「先生、B子さんあの花束を婚約者にも触らせずずっと抱えていたんですよ」と聞かされ涙が出そうになりました。
その1週間後、家族に見守られ、安らかに旅だたれたという報告が届きました。
著者:みむら内科クリニック 院長 三村 純(みむら じゅん)