「町医日碌」と題して町医者の日記を随時掲載しております。
今回はペットとの生活に興味のない方、犬が嫌いな方はスルーしてください。
盲導犬や麻薬探知犬に選ばれることが多いラブラドールレトリーバーという犬種はとても賢くて人に極めて従順なワンコです。
うちにはかつて、ももえという名の雌の黒のラブラドールレトリーバー(黒ラブ)がいて、とてもおとなしくて可愛いいい子でした。
2010年に13歳で亡くなった時にはあまりに哀しくて、もう飼うまいと思いましたが、その後事情があってタローという柴犬の里親になって、この子が16歳で亡くなってから約5年間うちにペットはいませんでした。
別れが辛いのでまた別の子を迎えることを躊躇していたわけなんです。が、クリニックを開業して約2年、なんとか仕事も落ち着いてきた2019年に嫁がクリニックのスタッフから某ペットショップに可愛い黒ラブが居ると教えられまして、偵察にいったら一目惚れ、そのままうちの子になってしまいました。
真っ黒な身体につぶらな瞳、みたままで誰にでも覚えてもらえるよう「クロ」とわたしが名づけました。
クロちゃんはヤンチャですがとても優しく、実に素直ないい子に育ってくれました。
3歳くらいまではソファやテーブルの椅子の足を噛んで破壊することも多かったのですがだんだんと落ち着き、日ごろ運動不足のわたしに付き合って毎日毎日散歩に行っておりました。
食欲も旺盛、なんでも食べる元気な子であっという間に34kgまで体重も増え大型犬の仲間に成長してくれました。朝、出かける時は、行くなとワンワン、帰宅したら扉を開ける前から早く開けろとワンワン、そして遊べ遊べ、メシ食わせろと一日中元気で癒してくれる、かけがえのない家族の一員になりました。
ビール大好きな飼い主が試しに泡をなめさせてみたら気に入ってしまい、それからは毎晩欲しがるようになってしまいました(もちろんほんの少量です)。
ここ数年は昔に比べて大型犬OKの宿泊施設が増えましたので、適当な宿を見つけましたら、車も大好きになったクロと長距離ドライブで旅行にも行くようになり山梨県の北杜市には定宿と呼べる貸別荘も見つけました。
今年の3月で5歳、人間では30〜35歳くらいなのでまだまだ元気で楽しい日々が続くはずでした。
ゴールデンウィークが近づいた4月の後半からクロの呼吸がいつになく促迫気味になることがありました。
まさか病気とは思わず、様子を見ていたのですが、毎朝モリモリ食べるクロがある朝、食べる前に嘔吐してしまいました。これは明らかにおかしいのでその日にかかりつけの獣医さんに診てもらうことにしましたがその待合室で付き添っていた嫁が頚や、膝、あちこちに腫瘤が触れることに気づきました。
先生の診断は悪性リンパ腫、LINEでその報告をみたわたしは目の前が真っ暗になってしまいました。
帰宅して改めて全身を触診したら、明らかに悪性とわかる固い腫瘤が全身に触れました。
いつも身体を撫でているのに全く気がついていなかったのです。
悪性リンパ腫とは血液の癌の一種で全身のリンパ節が癌化することがあります。
治療は抗癌剤による化学療法しかありません(ヒトの場合は放射線治療もあります)。
専門医の診察と治療が必要なのでかかりつけの先生からは大阪の大学病院を紹介していただいたのですが、診察の予約が取れたのが5月の後半でした。それまで2週間以上検査も治療もできません。
もともと連休は北杜市の貸別荘へ行く予定にしていました。果たして連れて行けるのか心配になってきましたがヒトの悪性リンパ腫の治療でもまずステロイドという薬を使用することがあることを思い出してクロに与えてみました。
すると翌日から呼吸状態は改善し食欲も出て元気になってくれましたので予定通り旅行にも行けて、低山ですが富士山と南アルプス、八ヶ岳が綺麗に見える飯森山(めしもり山)という山に登山もできました。
出会う多くの人々に「綺麗な子ですね」「可愛い〜」と褒められてクロも上機嫌でした。
ただしステロイド剤単独では対症療法に過ぎず、旅行から帰宅すると日に日に腫瘍は増大して、またも呼吸状態が悪化してきました。大学病院の予約日まで待つのは辛く、このままでは手遅れになりそうな気がしました。
そこで何人かの友人に相談したところ伊川谷に良い先生がいると聞き、その翌日に受診しました。
伊川谷のモデナ動物病院、その後4ヶ月通院することになる病院で、診察してくださった院長先生のみたてもやはり悪性リンパ腫でした。そこで癌の広がりを知るためすぐに全身CTを撮っていただきました。
もちろん犬は検査だからとじっとしていられませんので全身麻酔です。結果は最悪、腫瘍はほぼ全身に広がっておりました。ステージ4ということになります。
ヒトの場合は次に組織を採取して悪性リンパ腫の型を確定して治療に入るのですが、何も知らずに病院に連れてこられて採血されたり、眠らされてCTを撮られ、深刻な話をしている飼い主たちの横で不安そうな瞳を向けるクロに、さらにメスを入れることなどできません。組織診断は省略して疾患の頻度から、びまん性大細胞型B細胞性リンパ腫として治療をお願いすることにしました。
主治医からはいくつかの抗癌剤を週替わり、24週にわたって投与する治療を提案されましたが、東灘の病院に行かねばならないとのことで、これもクロをみて忍びなく単剤でも有効とされる3週に1回の抗癌剤投与をお願いすることにしました。ドキソルビシンというお薬でヒトの悪性リンパ腫や他の癌でも使用されます。
わたしも勤務医の頃に肝臓癌の患者さんに何度も使用経験がありましたが後年、愛犬が悪性リンパ腫に罹患して使用されることなど夢にも思いませんでした。ただこのお薬は確実に血管内に投与しなければならず、もしも血管外に漏れてしまうと組織が壊死してしまい、最悪手足の切断が必要になることがあります。
幸い主治医の技量は確実でそのような事態にはなりませんでした。
さて、抗癌剤治療が始まると呼吸状態はすぐに良くなりまして、たくさんあった表在の腫瘍もみるみる縮小して2回目の治療後には殆ど全ての腫瘍が消えてくれました。
食欲も元通りになりなんでも食べるいつものクロに戻ったようでした。
ただ、大好きだった散歩は嫌がるようになってしまい、短い距離を歩くだけですぐに帰ろう、と座り込んでしまうようになり、やはり悪性疾患で身体は疲れやすいのかなと思われました。しかし見た目にはとても元気で初めて会う人にはそんな重い病気を抱えてるとはとても思えない状態が続き、このまま完治してくれるのではないかと希望を持たせてくれました。
6月になり3回目の化学療法が終わった頃が今から思えば発病以来もっとも元気で落ち着いていたと思います。長い距離の散歩は嫌がりましたが食欲も旺盛で完治したのではないかと一時期思いました。
そんな時に研修医以来の友人で優秀な血液内科医にLINEで相談したところ単剤でそこまで有効な場合は再発すると治療抵抗性で治療が難しくなることが多いと教えられ不安になってしまいました。すると7月のある日、いつも通りに触診していると下腹部に小豆程度の腫瘍を触知してしまいました。
あまりに早い再発です。ただその後は増大の気配はなく、月の後半には香川県の屋島にある大型犬OKの旅館に1泊することができ連日の猛暑のなかも元気なクロでいてくれました。
また発病以来クリニックにも連れて行くようにしましたら、たちまちスタッフ全員のアイドルになりとても可愛がってもらいました。みんなが仕事中は騒いではいけないことがわかっているようで全く吠えることなくじっと院長室で大人しく待ってくれました。
そして8月はじめ、クリニックの夏休みは定宿になった八ヶ岳の麓の貸別荘に出かけました。
もしかしたらこれが最後かとも思いましたが、いやいやまだ大丈夫のはずと言い聞かせながら。高速道路で片道約450kmの長旅ですが今ではドッグランのあるPA、SAが増えて食事も屋外に席があるので一緒に取ることができるので人も犬も退屈しない時代になりました。この滞在中もクロは長い散歩はダメでしたが元気いっぱいでよく食べ遊んでくれました。貸別荘から車で20分ほどのところに「清里の森」という複合施設では広い公園で、レトリーバーの名に相応しくボールを投げてはダッシュして咥えて戻ることを何度も飽きることなく繰り返しても大丈夫でした。
こんな日がいつまでも続くようにと祈らずにはいられませんでした。
ところが旅行から帰宅後、8月10日過ぎから身体のあちこちに腫瘍が触れるようになり、さらには腹部全体が腫れてくるようになり、エコーを当ててみましたら腹腔内におそらく巨大化した脾臓が見られ間違いなくリンパ腫の再発を確認してしまいました。
数日後に診察があり、新たに2種の抗癌剤による化学療法を提案されそれにかけることにしました。
一つは注射剤ですがもう一つは内服で7個のカプセルを飲ませなくてはなりません。
この時点ではまだ食欲はあったのでクロの好物の梨やチーズにくるんでなんとか内服させることができたので効果を期待しました。ところがその後も腫瘍はさらに増大し、血液内科の友人の予想通り治療に反応しませんでした。
日に日に身体は弱っていき予後を悲観せざるを得ない状況で診察日が来ました。主治医の診断も癌はPD(進行)のうえ採血は抗癌剤の副作用で肝機能は悪化し骨髄抑制もきたしているという最悪の結果でした。
主治医からヒトと違ってもはや有効な薬剤はないと告げられ緩和ケアを勧められました。約2週間の経過から、そのことはわかってはいたもののこの上なく辛い宣告でした。
その後は日に日に全身状態は悪化、特に呼吸状態が急速に悪化してゆき9月2日早朝にわたしと嫁の腕の中で虹の橋を渡って星になってしまいました。
ラブラドールレトリーバーをはじめ大型犬の寿命はあまり長くありません。
10歳以上は神様のプレゼントと言われることもありますが、発病からはたった4ヶ月、5歳でお別れすることになるとはあまりにも早すぎて、辛すぎる、わたしのこれまでの人生で一番の悲しみとなりました。
以前に若くして急逝された方の葬儀に参列した時の僧侶の言葉「ご家族の残念、無念なお気持ちは察するにあまりありますが、これを仏教で諸行無常というのです」を思い出しました。
が、しかしとてもすぐには受け入れられずどん底の気持ちになってしまいました。しかし忌引きで休むわけにはまいりませんので日々の仕事は気持ちをこらえながらきちんとやっておりました。
それでも事情を知っている友人からお供えのお花をいただいたりすると涙があふれてしまうことがありました。
そしてあっという間に1ヶ月が過ぎてやっと闘病記をまとめることができました。
もっと可愛がってあげたかった、他の治療の選択肢もあったのではないか、もっと楽にしてあげることができたんじゃないか、と後悔することばかりですが、たった5年とはいえ、クロが5年もの長い間ずっと、楽しませて、癒してくれたこと、人生を豊かにしてくれたことに今は感謝の気持ちでいっぱいです。諸行無常の意味もだんだんと分かるような気がしてまいりました。
クロは天国に行ってしまいましたが生前かわいがっていただいた全ての皆さんと懸命に治療してくださったモデナ動物病院の主治医の先生とスタッフの皆さんに心から感謝申し上げます。
そして今回もこの拙文ブログを最後までお読みくださったあなた様に深く深く感謝いたします。
著者:みむら内科クリニック 院長 三村 純(みむら じゅん)