垂水区-みむら内科クリニック　院長ブログ　8万人の一人

　この日本では1年間に8万人もの人が失踪しているそうです。その理由は単なる家出から犯罪被害までいろいろあるようですが過去を捨て去るために自ら失踪する人も多いようです。

わたしが結核専門病院に勤務していたときに60歳代の男性Wさんが転院してきました。Wさんはずっと一人暮らしの方で医者嫌いのため殆ど病院を受診したことがなかったようですが、体調不良が続き我慢できなくなって受診した病院で直腸癌の全身転移と診断されました。
20年以上前のことで当時は有効な抗癌剤もない時代であったことと、Wさんの全身状態が既にかなり悪化していたために末期癌で積極的な治療は無理と判断されました。さらに肺結核も発症しており排菌も確認されたため隔離の必要から転院となり、わたしが担当になりました。
お話を伺うと、自分は天涯孤独で身内もいないから病状は全て何も隠さず話してほしいと言われました。わたしは言われるがまま病状を正確に伝え、できるだけ苦痛がないようにしますと伝えました。
Wさんはある程度覚悟されていたようであまりショックな様子はなく「あとどれくらい生きることができますか？」と聞かれました。「1ヶ月は難しいと思う」とお答えしましたら、「実は自分には弟が居る、実家に残っているかもしれない」と言われました。

Wさんの記憶を頼りに事務局で確認したところ東北地方のある県に在住の弟さんと連絡がとれ、数日後に遠路を来院されました。Wさんと面会のあと、みるからに実直そう、真面目そうな弟さんはわたしに言われました。
「兄は40年以上前に突然姿を消しました。神戸に居たんですね。母は半狂乱になって、毎日兄のことを心配して泣いてばかりいたんです。わたしたちは八方手をつくして捜したんですけどねぇ。その母も15年前に亡くなりましたが直前まで兄に会いたいと言ってたんですよ。」
「40年以上ぶりに会って、確かに兄であることを確認できたので帰って母のお墓に報告することができます。」「兄のお葬式は出せません。遺骨も引き取れませんので行政で対応してください。」と言い残して弟さんは帰ってゆきました。

その10日後にWさんは亡くなられましたが、弟さんとの面談のことも含め過去についてはわたしに一切語ることはありませんでした。ただ、天涯孤独を自認しながら弟さんとの連絡を希望されたのは、もしかしたら実家のお墓で母上と一緒になりたかったのかもしれません。
そして8万人の失踪者の中には人知れず孤独死される人も居ると思いますが最期に身内に会えて病院のベッドで亡くなられたことはWさんにとって良かったのかな、と死亡診断書を書きながら考えました。

著者：みむら内科クリニック　院長　三村　純（みむら　じゅん）