「町医日碌」と題して町医者の日記を随時掲載しております。
研修医の時に勤めていた病院は24時間の救急診療をしていましたが子どもの風邪から瀕死の重症患者まで毎日多数の救急車と歩いてくる患者が来院していました。その最前線、つまり患者を最初にケアするのが研修医の仕事でした。
夜間や休日は研修医が3人で初期治療にあたるので毎週必ず当直勤務があり、救急病棟に勤務する3~4ヶ月は3日に1回、週に2回は病院に泊まっていました。当時は当直明けもそのまま日勤の業務に入りましたから一睡もできずに連続32時間以上の勤務は普通にありました。救急外来は世の縮図のような空間でしたのでいろんなことがありましたが今後もまた改めて紹介させていただきます。
そんな過酷な研修医期間がおわりその後の約28年間は内科の当直になりました。
内科当直は夜間、休日の内科の入院患者と救急受診する外来患者に対応します。勤務した病院は入院、外来患者とも多くやはり眠れないまま翌日も通常の勤務をしておりました。
時は流れてわたしもベテランの内科医となったある当直の夜のことです。
その日も忙しく、救急外来から入院となった患者3人の指示をだし終わり一息ついたときには午前2時をまわっていました。
さすがに深夜は救急外来も落ち着いてきますので当直室で仮眠を取ろうとベッドに入るとすぐに眠りにおちました。
朝まで起こされなければラッキーと思いながら。ですが、まさにその寝入りばなにピッチがけたたましく鳴りました。時計は午前3時、1時間くらいで起こされるのがもっとも辛いのですがまさにその時間でした。
で、寝ぼけながら「はい、三村です」すると、ピッチの向こう側で絶叫が聞こえてきました「センセー、アンドーさんが大変です!、アンドーさんが!」「なに?」「アンドーさんが大変なんです!」「わかった、何処のアンドーさんや?」「アンドーさんです!」「だから何処の病棟や?」「アンドーさんがぁ~っ...」プツ..と切れてしまいました。
なんじゃ、今のは、そのとき一瞬、これは夢かと思いましたがやはり現実で、我に返って考えました。
相当あわててるから何かあったんだろう。しかし内科の患者は5つくらいの病棟に入院してるから順番にかけてみるか、連絡を待つか、でもあのあわてかたなら外科の患者かもしれんが、と思っていましたらまたピッチが鳴りました。
今度は落ち着いた別の声でした。「先生、すみません、今日が初めての深夜勤務の1年目がパニックになって電話しました。」「なにがあったん?」「患者がちょっと痰をつまらせただけで吸引したらすぐ元気になりました」「了解、おやすみ」その後は幸い朝まで起こされませんでした。
さらに7~8年の時が流れて3月のある日、わたしは病棟の送別会に出席していました。春には毎年数人の看護師が退職するので診療科から感謝をこめて花束を贈呈するのです。会の終わりに退職者から挨拶があるのですが、そのうちの一人、Kさんが「実は私、1年目の時に初めての深夜勤務でパニックになって三村先生を起こしちゃったんです。」「あっ、アンドーさんやろう」「はい、あのときはすみませんでした。」「ははは、もう忘れかけてましたよ」
Kさんはその数年前にわたしの病棟に異動してこられていました。すでに仕事のできる優秀な看護師でしたので、まさかあのときの子とは夢にも思っていませんでしたが、いまや立派に成長したんやなぁと感慨深く思いました。
大病院の夜中にはいろんなことが起こります。
著者:みむら内科クリニック 院長 三村 純(みむら じゅん)