「町医日碌」と題して町医者の日記を随時掲載しております。
今年のノーベル医学生理学賞はC型肝炎ウイルスの研究に貢献した3人の米国人に贈られましたがわたしが研修医になった1987年にはまだウイルスが同定されておらずウイルス性の慢性肝炎はB型肝炎が診断されるだけでした。
当時はB型肝炎も治療法がなく経過を観察するだけでしたが、B型肝炎ウイルスが検出されない慢性肝炎の患者も数多く存在していました。A型肝炎ウイルスは同定されていましたがA型は慢性化することはなく、原因不明の慢性肝炎患者は「非A非B型肝炎(ノンAノンB)」と呼ばれておりました。
1988年にC型肝炎ウイルスが同定され、1990年頃にその検査キットが開発されましたので、わたしの外来で非A非B型肝炎患者に使用しましたところ殆ど全ての患者がC型肝炎であったことにとても驚きましたことを記憶しております。
ウイルスが同定されたことで輸血後のC型肝炎は根絶され、約30年の時間はかかりましたが治療も確立されましたのでノーベル賞の受賞は当然のことのように思います。
さて、わたしはB型肝炎、C型肝炎の治療法がない時代に慢性肝炎〜肝硬変、そして肝細胞癌を発症された患者を一生懸命治療しておりました。肝細胞癌も現在はいくつも治療の選択肢があるのですが20世紀最後の当時は手術(切除)できない場合は肝動脈塞栓術を繰り返して、癌細胞に抗癌剤を注入する治療が一般的でした。
鼠径部(足の付け根)からカテーテルというチューブを肝臓の中まで進める方法で、放射線科の医師が行うことが多いのですが勤務した病院では消化器内科医が行っておりました。
わたしはこの検査、治療の手技が好きになって、また当時は肝細胞癌の患者が多数おられたことから他の先生の受け持ち患者を含めて毎週10人以上、年間400人〜500人くらいの検査、治療を行っておりました。この治療は、発症後だいたい3~4ヶ月ごとの入院が必要で、平均して1人の患者で5~6回、多い人は20回近くの入院、治療を末期癌に至るまで行うことがありました。
Mさんは70歳代の男性でC型肝炎から肝細胞癌を発症され、わたしがずっと主治医をしておりました。
上述の肝動脈塞栓術を繰り返し、病状は一進一退というところでした。
5回目の入院の日にいつも通りに検査、治療の説明を行いましたところ、Mさんが改まった口調で言われました。
「先生、ひとつ相談があるんやけどな」
「はい、なんでもおっしゃってください」
わたしはてっきり、Mさんご自身の癌の進行度、余命について質問されるのかなとおもいました。が、
「実は前から息子夫婦の仲が悪くて困っとるんですわ」
「・・・・・・・・」
「なんとかならんやろか、先生」
「・・・・・・・・」
「犬も喰わん話やねんけど、なんかええ方法ないやろか」
「も、申し訳ありませんがお力にはなれそうにないです」
とお返事することしかできませんでした。
「そうか、しゃ〜ないな」
「すみません」
医師になって33年がたち患者さんから多くの相談をされましたがこの相談は後にも先にもMさんだけで、今でもどうお答えしたらよかったのかわかりません。
その後、同じ相談はされることはなく、約2年後にMさんは亡くなられました。ご臨終のときに息子さん夫婦がおられたか残念ながら記憶にありません。
著者:みむら内科クリニック 院長 三村 純(みむら じゅん)