「町医日碌」と題して町医者の日記を随時掲載しております。
救命救急室のことをER(Emergency room)と普通に呼ぶようになったのは米国の医療ドラマ「ER」がヒットしてからのことだと思います。このドラマの放送時、わたしは医師になって10年以上たってましたがハマってしまい全シーズン観てしまいました。日本の医療ドラマはなんか馬鹿らしくなって途中で観なくなるのですが「ER」はリアリティも高くて米国の医療事情を知るにも役に立った気がしました(もちろんフィクションですから誇張も多かったと思いますが)今ではこのドラマを観たことが医師になるきっかけだったという人もめずらしくないようです。
さて、わたしも学生時代に一時期救命救急医にあこがれたことがありました。ただ通っていた大学病院には救命救急センターはなく実際の現場をみる機会がありませんでした。そこで大学の休みを利用して東京都内でも有数の規模を誇る病院で実習をすることにしました。
1985年頃と記憶していますが、A病院の救命救急センターにわたしは他の大学の学生数人とともに数日間実習をさせていただきました。実習と言っても学生の出る幕はなくひたすら見学するだけでしたが交通事故や労災事故、急性心筋梗塞や脳血管疾患等の急病、さらには殴られたり、刺されたりの傷害沙汰の救急車が一日中ひっきりなしにやってくるERはさながら戦場のようで、それまでに現場の経験のなかったわたしにとって衝撃的な日々でした。胸部の打撲で心臓損傷が疑われた患者が手術室まで運ぶ時間がなくその場で開胸が始まったり、治療の甲斐なく目の前で亡くなってゆく方も何人もみることになりました。
そんなある日の夜に意識をなくして路上で倒れていたホームレスの男性が運ばれてきました。ホームレス仲間と路上で酒盛りをしてそのうち喧嘩になって転んだとのことでしたが何日も風呂に入っていないようで全身から悪臭を発しておりました。頭部CTの結果は急性硬膜外血腫、転んだ際に頭部を打撲して脳の表面に血腫を生じており緊急手術が必要な状態でした。そこに呼ばれて脳神経外科医のB先生がやってきました。患者をみるなり「臭いし汚いなぁ~」それまで担当していた救急医と色々相談していましたがやはり手術が必要と判断されました。「やる気がしないオペだな~」とぶつぶつ言いながら、私たち見学の学生にふと目をやり「君たち、こんな人助けたい?」と聞いてきました。で「いったい誰が医療費払うんだよ」とも。
と、言われましても...と顔を見合わせるわたしたち学生をみながら「しょうがねえ、やるか」とB先生は手術室へ去って行きました。「お前さん、それを言っちゃあおしめ~だよ」という寅さんの台詞がうかんできたのですが。
わたしの実習の最終日、B先生に会ったので「あの患者さんどうなりました?」と聞いてみましたら先生は吐き捨てるように言いました「ああ、あの乞食ね。助けましたよ。全然やる気のないオペでしたけどね。もう元気になって今日なんか他の患者の残飯食ってるんですよ、もうすぐ追い出します。2度と来るなと言いたいですよ」 「お、おつかれさまでした....」
ドラマ「ER」でも、何人も殺害した凶悪犯である患者の治療を医師が不作為で死亡させるシーンがありましたが長く臨床医をしているとB先生と同じような気持ちになってしまうことを多くの医師が経験します。そこで感情をコントロールして治療に徹することがプロフェッショナルということなのですが…
もう30年以上昔のことでB先生も現役を退いていると思いますが今頃どうされているかなと時々思い出しております。
著者:みむら内科クリニック 院長 三村 純(みむら じゅん)