「町医日碌」と題して町医者の日記を随時掲載しております。
わたしが消化器内科を専門にしようとスタートした年に上沢久美子(仮名)さんが、日に10回以上の下痢と下血、腹痛、発熱のため救急入院してこられ、わたしが主治医になりました。22歳の大学生でした。
内視鏡検査や他の検査の結果、全結腸型の潰瘍性大腸炎と診断がつきました。これは難病に指定されている、原因不明の炎症性腸疾患のひとつで近年患者数が増加している病気です。
幸いステロイドという薬剤が著効し、2週間ほどの入院で寛解状態が得られ、退院後は月に1度わたしの外来に通院されておりました。上沢さんはとても真面目な性格で何事も一生懸命になるタイプのようでしたが自分からワイワイ騒ぐようなことはなくいつも控えめに微笑んでいるような女性でした。
約2年が過ぎたある日、彼女は「先生、今度結婚することになりました。○○県に引っ越すので来月が最後です」と嬉しそうに言ってくれました。病状も落ち着いていましたので「それは良かった。本当におめでとう」と言いました。
主治医として、担当した患者が元気になって幸せになっていくのは嬉しいことです。最後の外来の日にわたしは心ばかりのお祝いとして置き時計をプレゼントしました。上沢さんはとても喜んでくれて「先生、ずっと大切にします」と言ってくれました。彼女は北陸地方に引っ越されたのでその後お会いすることはありませんでした。
それから約20年が過ぎ、わたしも異動していたので彼女のことを思い出すこともなくなっておりました。そんなある日のこと、勤務していた病院では毎朝スタッフ全員が集まり、その日の入院患者について治療方針などを話し合うカンファレンス(会議)をしておりました。
若い先生が患者のプレゼンテーション(紹介)を始め「上沢久美子さん、47歳女性、大腸癌、転移性肺癌、衰弱で昨夜救急入院しました。」聞きながら、ん?聞いたことのあるような名前、と思った次の瞬間「この人は部長が前の病院で担当されていたそうです」「え〜〜〜っ!」青天の霹靂、びっくり仰天とはこのことでした。
潰瘍性大腸炎はコントロールが悪いと大腸癌を発生しやすい病気です。ただ定期的に内視鏡検査を行えば早期発見は難しくありません。それが上沢さんの場合、既に肺への転移もみられていたのです。どうしてここまで悪化してしまったのか、当初全くわかりませんでしたが、ご家族にお話を伺うと結婚は数年で破綻してしまい、その後は実家に戻ってから外に出なくなった、つまり引きこもってしまったとのことでした。それからは家族との会話もなくなってゆき何処にも通院することもなく潰瘍性大腸炎の再発→大腸癌→肺へ転移まで放置することになっていたということです。
入院後も上沢さんは殆ど話そうとせず主治医が意思疎通に苦労していました。
末期癌の状態ですがまだ若いので抗癌剤による化学療法も可能でしたが本人に生きる気力がなくなっていました。
病室では前髪を長くたらしたまま誰にも視線を合わそうとしませんでした。口の悪い看護師が「先生、あの人、貞子になってます」と言いました。
だいたいの経過を把握してから、意を決してわたしは病室に向かいました。ですが、わたしにも殆ど口をきいてくれません。何日か通いましたが昔のようには心を開いてくれませんでした。
入院から2週間が過ぎ、上沢さんには治療の意志がなく家族の希望でホスピスへの転院がきまりました。その前日もう一度病室を訪ねたわたしは最後に聞いてみました「あの時、時計を贈ったことは覚えてくれてますか?」数秒たってから、言葉はないままでしたが上沢さんはうなずいてくれました。そして前髪から垣間みえた口元で、確かに微笑んでくれました。20数年ぶりに会えた微笑みでした。
しばらくしてホスピスから亡くなられたという報告が届きました。
著者:みむら内科クリニック 院長 三村 純(みむら じゅん)